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Vol.028 『幕張総合高校開校
昭和55年(1980年)4月17日(木曜日)、幕張総合高校の前身、幕張三校が幕張文教地区に同時開校しました。“砂漠の先駆者”として幕張新都心を切り拓き、幕張の発展と共に歩んだ高校は、2005年に創立25周年という節目の年を迎えます。

その名のとおりの『幕張砂漠』
幕張新都心(1983年)
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「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」
それにしても何も無い…。私たちが入学した時もまともな姿を現していたのは幕張海浜公園くらいなものでしたが、それ以上に何もありません。
右は開校4年目を迎えた昭和58年頃に撮影された幕張新都心近辺の空中写真です。写真を凝視するとわかりますが、プールや、私たちが在籍していた時に完成した芸術館はもちろんありません。

幕張の街全体も東西は花見川と浜田川、南北は幕張の海と国道357号線に囲まれた広大なエリアにあるのは、この幕張三高と建設中のOVTAだけ。東関道・国道357号をこえるとタワーの無い開校前の放送大学と開校ホヤホヤの昭和秀英高校・渋谷幕張高校が見えます。
開校4年目でこの状態であるならば、開校した当時は「幕張砂漠」が幕張ロードの国道14号線辺りまで広がっていたような状態だったのでしょう。

それでは周囲の風景どおり、幕張三校も受験生からソッポを向かれるような寂しい状況だったのか、というとそうではありません。入試においては全く逆の様相を呈していました。

殺到する受験生(第一期生入学試験〜昭和55年度〜)
私達第9期生が受験した時には、芸術コースを目指した生徒を除いて、幕張三校いずれかを受験するかの一つの目安に偏差値がありました。だがその基準が無かったとしたら、何を基準に三つの高校から一つの高校を選びますか?偏差値以外にも「存在する部活動」や「在籍している先輩の話」を基準にしたという人もいるでしょう。だけどその基準すら無い第一期生の人達はどうやって選択したのでしょう?受験生の誰もが抱きそうな素朴な疑問に答えるかのように、第一期生募集を前にした昭和54年11月、千葉県教育委員会は幕張西高校は理数系、幕張東高校は社会系、そして幕張北高校は国語系と、将来の大学受験に配慮した各高校独自の教育システムと各校270人(6学級)、合計810人の第一期生の募集を発表しました。

芸術に加え一般科目においても学校別に特徴を持たせるとともに、高校間の交流を活発にし、よりきめ細やかな教育ができるようなシステムを打ち出したことで県教育委員会には問い合わせが殺到。願書受付前の希望調査で、幕張北高校は千葉県内最高の2.41倍(幕張東高校1.67倍、幕張西高校1.60倍)という結果が明らかになります。
この高倍率を知って、さすがに二の足を踏む受験生も多く、昭和55年2月8日最終的に確定した志願者数は、ある程度均衡が取れるようにはなったものの、それでも上総高校園芸科2.15倍、幕張北2.13倍、幕張西1.77倍、幕張東1.75倍、松戸矢切高校1.72倍とベスト5に三校とも入るほどの人気を博しました。

周囲から相当な期待と関心を持たれた選抜試験は、私たち第9期生と同じくオリンピックイヤー(第1期生はモスクワ、第9期生はソウルオリンピック)、つまりうるう年だった昭和55年2月28日・29日の両日に大雪が降る中で迎えました。そして合格発表は私たちと同じく3月5日に行われます。ただここで第一期生だけは特別な形で受験を行います。それは受験会場と合格発表の会場が幕張三校ではなかったことです。幕張東高校は検見川高校、幕張北高校は千葉商業高校、そして幕張西高校は千葉東高校を間借りして行われました。

西部の荒野に建つ校舎
それにしても
新設校とはいえ、入学試験も合格発表も他の高校を使わなくちゃならないほどだったんでしょうか?そう考えてしまうのは当時の事情を知らない人間だからでしょう。そうせざるを得なかった状況を物語る一枚の写真が昭和55年4月5日付の朝日新聞に掲載されています
『サバクの先駆者 高校団地』とのタイトルで組まれた特集では、ヘリコプターから撮影された幕張三校建設途中の写真が紙面のほぼ半分を使って大きく掲載されています。位置的には海浜幕張駅上空付近から検見川方向に向かって幕張三校が撮影されており、写真左奥、幕張北高校向こう側の空き地が現在の幕張総合高校建設予定エリアです。記事文中の一部を引用すると「あたりは見渡す限り、ひからびた赤茶色。道路さえ判然としない中で、建設工事用重機機械がうなりを上げ、校舎の建設が進む。一片の緑もない。大地を海からの風が砂塵を巻き上げながら通り過ぎる。くぼ地は沼のように雨水をたたえている。誰かが西部劇の舞台にぴったりだ、と言った」
※朝日新聞のご好意により写真をお借りすることが出来ました。しかし既に25年前のスナップであり、写真原本は存在しないため、当時の新聞をスキャンしたものを使用しています。

幕張三校建設中の写真 幕張三校略図
開校直前の幕張三校 昭和55年3月15日撮影(朝日新聞社提供) 幕張三校略図

しかし写真を見ると、全然足りないような・・・いやあまりにも無さ過ぎる気がしてなりませんでした。それもそのはず、幕張三校の敷地の中で姿を現していたのは4つの建造物だけ、幕張北高校の体育館と各校の特別教室棟(校長室や理科室などが入っていた校舎)だけしかないのですから。西・東の体育館、共用館はおろか、私たちが高校生活の大半を過ごしていた普通教室棟すらありません。そもそも昇降口だってないのです。しかもそれが入学式のたった1ヶ月前、合格発表から10日も過ぎた3月15日の状態ですから、驚きです。ここで改めて幕張三校の建設進捗状況を一覧にしてみます。

幕張三校建設工事関連年表 ≪幕張三校十周年記念誌『共通編』より≫
年度 第9期生は…? 幕張三校の出来事
1976年(昭和51年) 4歳 12月 学園のまち基本計画策定委員会発足
1979年(昭和54年) 小学校1年 4月 定例教育委員会 敷地取得決定(18日)
8月 校舎第一期工事起工式<特別教室棟>(22日)
9月 幕張東・西・北高校校名決定(5日)
11月 昭和55年度募集定員の決定(14日)
1980年(昭和55年) 小学校2年 2月 幕張東高校入試<於検見川高校>(28・29日)
幕張北高校入試<千葉商業高校>(28・29日)
幕張西高校入試<千葉東高校>(28・29日)
3月 入学許可候補者発表(5日)
入学事前説明会開催(18日)
第一期工事特別教室・北高校体育館竣工(31日)
4月 機械室(エネルギー棟)竣工(1日)
幕張三校合同開校・入学式<北高校体育館>(17日)
1981年(昭和56年) 小学校3年 1月 第二期工事のうち普通教室棟竣工(31日)
6月 第二期工事のうち体育館竣工<西・東>(31日)
1982年(昭和57年) 小学校4年 1月 第三期工事普通教室棟竣工(31日)
1983年(昭和58年) 小学校5年 3月 共用館・三校連絡通路竣工(20日)
1985年(昭和60年) 中学校1年 3月 共用館連絡通路竣工(30日)
プール竣工(31日)
1986年(昭和61年) 中学校2年 12月 共用館前庭竣工(9日)
1989年(平成元年) 高校2年 3月 特別教室棟(芸術館)前渡り廊下竣工(30日)
特別教室棟(芸術館)竣工(31日)

当時の千葉県は日本で1,2を争うほどの急激な人口増加率にあえぎ、高校不足が大きな教育問題として取り沙汰されていました。その解決策として目されたのが「高校団地」幕張三校、校舎が完成してなかろうが、とにかく子供たちの受け入れ先を造らなければならないという切羽詰った事情があったのです。
上記の年表からすると、幕張三校第一期生の皆さんは高校1年の1月31日に普通教室棟が完成するまでの間、特別教室棟で勉強していたことになります。体育の授業をやるにも体育館は三校で一つしかありませんし、グランドもおそらくは普通教室棟の工事に車両や資材が入り込んでいたため、かなり制限があったのではないかと想像できます。昇降口が無い学校のどこで靴を脱ぎ、理科室の蛇口が付いた机を使って国語や社会の授業を受けていたんでしょうか…?

昭和55年4月17日(木曜日)午前9時30分 開校宣言
記念すべき開校の日は、当然のごとく第一期生さんの入学式の日でもありました。入学式といえば4月の7日とか8日前後が一般的ですが、この年新設された県立9高校に限っては少し遅めの入学式を迎えます。このうちの6校(船橋古和釜高校、八千代西高校、鎌ヶ谷西高校、成田北高校、柏北高校、松戸馬橋高校)は4月15日に行われ、幕張三校はそれよりも遅い4月17日でした。
その記念すべき日ですが、二つの春の嵐が第一期生の皆さんを襲います。まずは私鉄労連の大規模なストライキが前日から継続しており、県内の私鉄電車・バスはほぼマヒ状態。幕張を通る京成電鉄もストの真っ只中でした。普段の授業だったらあっさりとあきらめてしまうかもしれませんが、記念すべき自分の入学式に学校の開校式も加わった一日です。休む訳にはいきません。京成を利用する生徒は時間がかかろうとも代替ルートを駆使してなんとか国鉄幕張駅へ降り立ちました。そしてそんな彼らを次に襲ったのが、大雨です。まともに舗装が完了してない幕張ロードは泥濘と化し、家を出るときには黒光りしていた新品の革靴も、高校へ到着する頃には茶色くなってしまっていたかもしれません。あいにく5名の欠席者を出してしまったものの、幕張新都心の先駆者、幕張三校第一期生合計836名(幕張東高校282名、幕張西高校280名、幕張北高校274名)の高校生活がこの日からスタートしました。
※私たちの大先輩、幕張西高校第一期生サイトへはこちらから※


そして午前9時30分、唯一完成していた幕張北高校の体育館に関係者1000人以上が列席し、NHKの取材陣も訪れる中、今井千葉県教育長の開校宣言によって三校合同開校式典が幕を開けました。これがゆかりとなり、毎年4月17日が創立記念日として休日となります。あいさつに立った今井教育長は「グランドも未整備。交通の便もけっしていいとはいえないが、すべてに先駆けた三校は協調・協力・協和の精神で頑張ってください。」と生徒達を励ましました。開校式典に続いて幕張東高校・幕張西高校・幕張北高校の順で入学式も行われ、その模様は翌日の毎日新聞、サンケイ新聞でも写真付きで大きく報道されました。同日同時刻にそれぞれの特色を持たせて誕生した幕張三校、それが10年後の1990年に創立十周年を迎え、開校式同様に幕張三校合同の記念イベントを千葉マリンスタジアムで開催します。その時にたまたま3年生だったことで立ち会うことの出来た私たちは幸運でした。

草木も無い幕張砂漠にポツンと出来た学校は、新しい街と未来を担うにふさわしい高校生達を呼び寄せ、そこから巣立っていった生徒数は2万人を超えています。海の底から生まれた街を誰よりも早く、そして誰よりも長く見続けてきた幕張総合高校の歴史は、そのまま幕張新都心の歴史ともいえるでしょう。その学校も今年で創立25周年を迎えました。一つの街を切り拓いたその姿・形は開校当時と比べて大きく変わりましたが、創立記念日は今も昔も4月17日です。

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一人一人の記憶はおぼろげでも、470人全員の記憶の断片を集めれば、記録へと変わります。あの日、あの時、あの場所のことを加筆・補筆して下さい。
どんなささいなこと(あの日は晴れていた、あれは何時頃だった、あれはあの辺だった…etc)でも個人的なエピソードでもかまいません。
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